台湾の救急外来で初めて気づいた。「あれ、私、中国語で普通に話してる」|第二言語習得理論「インプット仮説」の実体験を紹介

verde の Green です。

普段は第二言語習得理論や、継続できる英語学習について発信していますが、今回は少し個人的な話をさせてください。

台湾留学中、私は一度、本気で「まずいかもしれない」と思う出来事がありました。

そしてその出来事は、今振り返ると、語学学習について大切なことを教えてくれた経験でもありました。

verde Green です。
お立ち寄りいただきありがとうございます。

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最終学期、最後の授業の日

2012年12月某日。

その日は、台湾留学の最終学期の最終日でした。

前夜から喉が痛かったものの、皆勤だったこともあり、「今日だけは行きたい」と思っていました。

朝起きると、明らかに悪化していました。

でも、行きたかったのです。

授業が始まりました。

一時限目。

「やばい。かなり苦しい。」

二時限目。

「ここにいたらまずいかもしれない。」

でも、最後の日でした。

三時限目。

「これで最後。最後まで出よう。」

「あと10分。あと5分・・・。」

授業が終わり、体を引きずるようにお世話になった先生一人ひとりとツーショットを撮りました。

苦しいので、手早く・・・

全員に、

「大丈夫?」

と聞かれたのを覚えています。

撮影が終わった頃には、本格的に危険を感じていました。

大学の保健室へ

まず大学の保健室へ向かいました。

酸素ボンベを使ってもらい、休ませてもらいました。

でも、ほとんど良くなりません。

17時を過ぎ、保健室も閉まる時間になりました。

保健室の方から、

「もし今夜眠って、そのまま起きられなかったら危ないかもしれない。」

「枕元には救急車の電話番号を置いて寝ることを勧める。」

と言われました。

正直、その時はまだ、どこか他人事でした。

初めて「死ぬかもしれない」と思った

保健室を出ました。

教科書が重い。

とにかく歩けない。

なんとか家へ向かいました。

当時住んでいた部屋は、エレベーターなしの五階でした。

部屋にたどり着き、保健室で言われたことを思い出しました。

そこで初めて、

「起きられなかったら、死ぬかもしれない。」

「起きたところで、電話がうまく救急車につながるとも限らない。」

と思いました。

「それはさすがに親が泣く・・。」

そう思いました。

クリニックを回る

普段見かけていたクリニックへ向かいました。

(今(今2026年)思えばここで救急車で良いのでは?)

一軒目。

漢方クリニックでした。

「即効性のある処置は難しい。」

二軒目。

大学の保健室と同じように酸素ボンベによる対応。

やはり改善しません。

その時が何時だったのか今も分かりませんが、外は真っ暗で、他に患者の姿はなく、医師も手じまいをしている風もあったように思います。

すると、医師が言いました。

「大学病院へ行きなさい。」

「タクシーを呼んだから。」

私は、そのままタクシーに乗りました。

救急外来

病院へ着くと、担架が来ました。

煌々と白い照明で照らされた広いロビーに、他にも担架が詰めかけていて、私もそこに担架で仲間入りしました。

その瞬間、不思議なことに、急に安心しました。

それまでずっと苦しかったのに、

「もう大丈夫だ。」

そんな穏やかな気持ちになりました。

実際に突然呼吸が大幅に改善したようにすら思われました。

担架が少しづつ進み、自分の番が来ました。

「熱があります。」(「・・有發燒。」)

「ないです。」(「没有。」)

「熱があります。」(「有發燒。」)

「ないです。」(「没有!」)

「あなたは発熱しているんですよ!」((体温計をこちらに傾けて)「你!有!發!燒!」)

「あ、そうか。」(「喔・・。」)

そんなやり取りをしました。(発熱している自覚も検温している自覚もなかったようです)

ベッドへ運ばれ、

飲み薬。

点滴。

横になりました。

病室の天井を見ながら

周囲の先生や看護師の声が聞こえました。

手首のIDリストバンドが見えました。

点滴が見えました。

苦しい。

でも、安心していました。

天井を見ながら、

「もう大丈夫。」

と思いました。

真夜中

真夜中になる頃には、かなり楽になっていました。

明け方、医師が来ました。

そして尋ねました。

「どうしてそんな状態になるまで無理をしたの?」

私は答えました。

「学校に行きたかったからです。」

「もう二度としないように。」

「はい。気をつけます。」

それ以外に、

  • 保険の話、
  • 今後の服薬の話、
  • 今後気を付けること、
  • 誰かに連絡したか、
  • ここからどう帰るか、
  • 先生の奥さんのアメリカ旅行の話、

色々な話をされ、私も疲れた身体であれこれ返答しました。

最後先生に諸々本当にありがとうございましたとお礼を言って、先生は去っていきました。

私は、ふと思いました。

「あれ、私、普通に中国語で話してる」

あれ。

私、普通に文章で話していた(片言だと思っていた)。

しかも、何も考えずに。

日本語と比べても負荷が高い感じがありませんでした。

授業を聞き取るだけでも必死だったはずなのに。

一年3か月の留学の終盤だったので、その時までに徐々に中国語ができるようになっている実感はありました。

でも私は、この救急外来で初めて、

「さほど考えなくても自然な文章が口からスラスラ出てくるようになっている」

と気づきました。

帰宅、そして長い回復期間

翌朝、退院することになりました。

「もう平気だろう。」

そう思って起き上がりました。

でも、歩いた瞬間、再び激しく苦しくなりました。

胸のあたりも広範囲で痛いし、身体が重くていきなり膝から崩れそうでした。

タクシーまで歩くのもやっとでした。

タクシーの中で、

「本当に帰って大丈夫なんだろうか。」

と不安になったのを覚えています。

運転手さんとも一言も話す気力がなかったし、疲労で半ば放心状態でした。

薬を飲みながら過ごしました。

動くと苦しい日々でした。

それでも、大学外の週末の授業にはすべて出席しました。

その後、帰国しました。

軽く走れるようになるまで、二か月ほどかかりました。

私の中国語に効いたらしい3大 SLA(第二言語習得)トレーニング

私は、この経験を通して、

「話せるようになる」ということについて改めて考えるようになりました。

留学初期:身の回りの表現を固めること(内在化、自動化)で話せるように

留学当初は日常会話もできず、ひたすらアウトプット表現をため込む時期が数か月続きました

何も話せない状態から、3か月で片言が話せるようになっていきました。

その時の体験を書いた記事はこちら👇

留学終盤(本記事):ひたすら聞くこと「インプットすること」で話せるように

そしてこの帰国直前の時期は何をしていたかというと、

  • 平日は大学内のレッスン / 講義を一日3時間ほど + 宿題で1-2 時間ほど、
  • 週末は大学外の講義で2時間ほど + 宿題で1-2 時間ほど

黙ってひたすら中国語を聞く日々が何か月か続いていました。

話す練習を絶っていたのですが、

「浴びるように聞くことで、自然に耳から習得した表現が口からも出るようになっていた」

のかもしれません。

聞くことのみで話せるようになる「インプット仮設」についての記事はこちら👇

会話で躓かなかった中国語と、がっつり躓いた英語

英語学習は中国語よりずっと前に開始していましたが、主に試験対策をしていたため、

  • 内在化
  • 自動化
  • インプット仮設

は抜け落ちていました。

一方中国語では、まさにその3つを勉強の主軸として存分に生かしてきました(全て帰国後に気づき始めました)。

この「差」を経験をしたからこそ、私は

「同じ方法でただ頑張り続けること」よりも、
「まず立ち位置を確認すること」

を大切にするようになりました。

実際に帰国後、方法を180度変えて英語学習を再開したら、会話ができるようになるのは実にあっという間でした。

台湾留学の数年前まで無関係な英語の難単語を何千語も覚えて会話対策としていたのが遠い昔のことのようでした。

語学は、修行ではなく、便利ツールです。

ツールを使うための、

  • 効きにくい努力
  • 効きやすい努力

を見極めれば、言葉の壁は驚くほど小さくなり、「普通に使う日」は思っているより早く訪れるのかもしれません。

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